始まりと終わり

何かが始まるとそこには「終り」が来る
クライアントさんとの関係もまたその一つ
コーチとクライアントとしての関係が始まって、
ある日クライアントさんから、また、別のパターンとしてはコーチ側から

「そろそろ完了しましょうか」

コーチを始めたころは寂しさと焦りが正直あった
「終わってしまうのか~」と「うまく機能しなかったのかな」

今はちょっと違う感覚が・・・
長くやっていることでのコーチとしての未熟さ
その人の事を解ったつもりで好奇心のスイッチの入りが悪くなったり

別の角度ではある意味、コーチとしてとても嬉しいその瞬間
「卒業しはるんやな」おめでとうございます
そして、また必要な時にコーチを雇えばいいこと

ここまで書いてみてちょっと自分の中に違和感が
本当なら、人間が生きていることで人との関わりが生まれ
人とのかかわりの中で学んだり、気づいたりすることを
わざわざ「コーチングの場」を設けて創り出す現代の関係

もしかしたらこの分野には「終わり」はないのかもしれない
どうなのかな 明確な答えはないけれど
終わりはあるんだけれど終わりがないのかもしれない

禅問答のような言葉になってきたけれど
コーチとクライアントとの関係には終わりが来るけれど
人間として生きる上では「人との関係」に終わりは来ない
こんな感じかな

そう見ると、なかなかおもろい仕事をやらせていただいてますな
コーチという仕事は ありがたいことです

お金と自分の関係

面白いテーマのひとつ「お金と自分」との関係
僕にとってないと困るもの、あったら便利なもの、ないと寂しくなるもの
硬貨や紙幣を持つと実感があるもの、自分の預金通帳も実感あるな~

こうやって書いていて「たくさん持ったことがない」自分を発見しつつ
たくさんっていくら位の金額なのかとはたと新たな疑問が...
人によって「たくさん」も違うものだろうな 標準化も難しいかも

だけど、ひと様がたくさん持っているとちょっとうらやましく感じるもの
自分の仕事の結果や経過をウソつくことなく定量化させてくれるもの
そして、ドキドキハラハラ 一喜一憂させてくれる数字の羅列でもある

結局お金は何なのでしょうか? お金はあなたにとって何ですか?

こんな見方もできるのも「お金」の面白いところ
数字は変わらないけれど、それを見る人によって扱いが変わるもの
こうやって「お金」を見てみるといろいろな発見が

自由になったり、豊かになったり、ほしいものを手に入れるために
人間が作ったものなのに、時として呪縛の根源にも おもろいやつ
そうやって見ると人間が作った「お金」に使われているのは何と人間様
面白いな~ 自分で便利だと思って作ったものに自分が使われる

企業経営の中でも「売り上げは」「利益は」いろんな場面で
定量化してくれる物差しではあるけれど、ちょっと間違うと
目的と結果がごちゃごちゃに... どうなんでしょうかね

「このために」で始めた事業がいつの間にか「売り上げ・利益」が
最優先重要事項に大変身 企業を維持するために人をバッサリ
何のためにあったんだっけ「お金」って...

ひとつだけ今の自分とっての言える自分への教えは
「お金のマジックに使われることなく生きていこう」
だって、主体者は人間ですから お金のためにはちょっと空しいな

スローに生きる

スローエナジー 僕のお仕事の屋号
盟友と2人で智恵を絞って作った造語
環境 エコロジー 地球 本来の姿 ゆったり
色々なキーワードからひねり出した名前
自分の生きたい生き方を体現する名前として命名

しかし、はたして今「スローに生きる」を体現しているだろうか
ちょっと走りすぎているような気もするし
いやいや、付いていかないと取り残される恐れもあるし
やりたいことを精一杯やっている気もするし
でも、ちょっと「追われている」が今強く感じるところかな

なぜだ・・・ 

見渡してみると僕の周りには結構 全力疾走の人たちが
そのスピードを否定する気は更々ないがちょっと早すぎるな~
一生懸命ついていっているけれど本来の求めるスピードではない
じゃあ、ひとりでゆっくり行ったら?なんて言われるけど
実際は行きたい でも 取り残されるのが怖い が本音
ここにどうやら ざわつきの原因があったあった

僕がコーチなら間違いなく次の問いを
「本当はどう生きたいの?」・・・・・・・・ うっっっっ
そうなんです 「ゆっくり」を大切に生きて行きたいのです

暫く固まって 自己探求して そして、どうしたいのかを探求

やってみますか 怖さはあるけど、ちょっと自分に正直にそして頑固に
本当はどうしたいのかを大切に生きてみるのも素敵だな
周りとの関係で何か新しい事が起きるかもしれない

少なくとも「時間」という人間が作った尺度に振り回されることなく
そして、自分にも人にも誠実に正直に生きて見ましょうか
一回しかない人生 ちょっとしたラボラトリーを楽しんで見ますか

何かが始まる予感

昨年の途中からいくつかの事を完了してきた
その時は2010年から始めようとしたことを取り入れるために
完了の作業を始めたのではあったが、ちょっと予定変更の羽目に

その時は「これを始めるにあたって」と言う事で完了したのだが
実はそれ自体も完了することに・・・ ありゃりゃ?
それだけに、少し苦しみながら手放した体験ではあったが
まあなんとか「それ」も完了!

さあ、どうするべ~  暫く『腑抜けさん』状態に・・・
居心地の悪い「時」と一緒に暫く居ることに

暫くすると変化が訪れてきた
何かよく解らないのではあるけれど、何かが動き出す予感が
今までの自分だったら「明確に」「具体的に」「はっきりとした未来を」
なんて思考が働いたけれど、今回はちと違いますな~
あるのは体感覚のみ そして、Doの世界は見えてこない

予感に身をゆだねてみる 感覚にしたがってみる 待ってみる
体の奥深いところでは「何か」が「何か」をキャッチしている感じ
しかしながら現世を生きている自分の意識ではキャッチできず

なかなか不思議な世界だけれど、少しずつ見え始めている感覚だけはある
少なくともエネルギーが湧き出してきていることだけははっきりと解る
意識の深いところにあったことを「完了」した事からかもしれない
まあ、それも時薬が解決してくれることでしょう

何が見えてくるのか 何を始めなさいと啓示があるのか
だれがそのメッセージを運んでくるのか どんなところで出会うのか
よくは解らないけれど、体の直感「何かが始まる」を信じて
暫く待ってみましょう


 

仲間のありがたさ

今年に入って心の底から感じること「仲間のありがたさ」
普段から人との繋がりや仲間との時間を大切にしているが
本当に今年は実感させられる機会が多い

勇気付けられたり、励まされたり、そして受け入れてもらったり
そして何より「一人じゃないんだ」を実感させてくれる仲間の存在
ありがたい存在やな 本当に仲間がいてくれることに感謝

そして、コーチという存在もその一人なんだなと自分の体験から確信する
クライアントさんの言葉と共にいる、人生と共にいる、今と共にいる
その事でクライアントさんが手に入れる安心感やスッキリ感
ただそれだけのことでも一人ひとりの人生に明かりを灯すことに

コーチという職業も出来ることなら無くなったほうが自然かもしれない
人が当たり前のように関係性を持って、助け合って生きていく世の中
そちらのほうが生き物として自然な姿だとも思う

しかし、しかし、そこにちょっとしたギャップがあるからコーチが存在する
コーチングが生まれてきた背景も今の人の繋がりに大いに関係あり
何か殺伐とし、競争原理が働き、人事制度では「成果」「成果」
そんな社会の中でもやっぱり人間は人間でしかないと思う・・・

コーチングをすることだけがコーチの仕事じゃない気がしてくる
こんな関わりが当たり前になったらいいと思いませんか?
そんな社会変革の一端を担っている仕事でもあるんだろうな

人間は一人では生きられない生き物
誰かとの繋がりで生きている生き物
もう少し繋がりを感じた生き方をしてみませんか?

 

今年で引退します

ちびっ子スキースクールの先生
今シーズンで引退します!!!

僕の楽しみでもあり、ライフワークのひとつでもあった
「ちびっ子スキースクール」の先生
今シーズンで引退することにしました

いくつかの理由がここにはあるけれど、一番大きな理由は
僕でなくとも指導者はいるし、持続可能性が担保出来たことかな
やっていて楽しいし、続けることも可能だったかもしれないけれど
今年で一つの区切りをつけます

2泊3日のスキーキャンプ
初日は子どもたちの「グチ、文句」のオンパレード
「寒い」「重たい」「冷たい」「持って~」「しんどい」
吹雪だったら音量倍増  

それでもどうだろう、3日目ともなると
子どもたちの顔が変わり、どこか誇らしげに
そして僕を見つけると嬉々としてこんなことを言ってくれる
「みてみて~ 出来るようになったで~」

この顔見るといつも思った「やめられまへんな~ この仕事」
そして、矛盾するように聞こえるかもしれないけれど、
このお仕事は、次の世代にバトンタッチ

そして、そこに出来た時空間に違ったフィールドが既に顔をニョキ
僕にしか出来ないことかもしれない、そして、この事さえもバトンを
引き継げたらまた次のフィールドに向かうかもしれない

一つ「古いもの」を手放し「新しいもの」を取り入れてみます


 

改めて「認知」

認知のスキルは、クライアントに揺るぎない自信を与えます。
本当に認知されたと感じたとき、それこそクライアントの背筋はピンと
真っすぐに伸びるはずです。
コーチが認知するのはクライアントの人となりであって、その行為ではありません。
                         ※出典 コーチング・バイブル第2版 P72~P74「認知のスキル」

改めて強力なかかわりだと思う『認知』
学びの中で知っている世界より、実体験が確信を与えてくれる
教科書や理屈ではなく、与えてもらうことで実感が増す
体験  いや、体感の世界で感じること

どれだけの人に、その人に認知を配達できるだろうか
こちらが配達したとしても大切なのは配達された相手の感じ方
出来るだけ、その瞬間に感じたその人の「人となり」を配達しようと
しているが、うまく行くこともあればそうでないことも

もっともっと、認知のシャワーをと思うけれど
天から降りてくることもあれば、搾り出す時もある
何が違うか良くつかんでいないけれど、違いがあることだけは確か

コーチのスキルと言う単純な言葉で片付けたくない『認知』という行為
人がいつも相手に認知を送れるくらい相手に好奇心を持って
相手と対峙した関係で関ったとしたら、そして、その事が
当たり前の世の中になったとしたら、変わるだろうな、この世の中

絶対世の中は変わる!!! 自分の中の確信
一人ひとりが「朝、起きがいのある人生」を歩き出す
存在意義や人生の目的に対して歩き出す世の中に絶対なる

自分の中の確信を信じてやっていこう
創りたい世の中に一歩でも近づけるためにも
自分が出来ることを、自分の出来る所から
やっぱり、今年もアチチ男です

 

「立ち止まる」を許容してみたら

なかなかエンジンがかかってこない今日この頃
今までの自分であったら許されない状態 何かしなくちゃ
次の目標立てて、未来はああなってこうなって

日常生活に支障があるわけではないし、仕事もちゃんとしている
でも、今までの自分の行動パターンや思考が何かを言ってくる
動いたほうが良いのか? フルスロットルになったほうが良いのか?

ちょっと、視点を変えて「今年のテーマ」からみてみると
「2010年 ほんまにいたい所に居る」
「やりたい事を選択する」
ほっほ~ 『立ち止まる』という行為が新鮮に見えてくる

確かに今の世の中で『立ち止まる』という行為自体なかなか
許容されないのも事実のような感じもするけれど
本当にそうだろうか? 取り残されてしまうのだろうか?

スピード化 変化の時代 流れについていく
いろいろなキーワードが出てくるけれど「立ち止まる」も
必要な居所のような気がするな~ ちょっと怖いけど

「今、立ち止まる」ということが自分の長い人生にとって
「今、この瞬間」意味があることだとしたら何が見えてくるだろう
正直、よくわからないけれど、無理やり動こうと思うより
自分に対して正直で自然な感じが体のメッセージとして受け取れる

『立ち止まる』の先に何が見えてくるかは定かでは無いけれど
自分の選択として許してみよう  これまた新たなチャレンジ領域
何かが動き出せばそれはそれだし、動かなかったらそれもそれ

「動くこと」「前進すること」が当たり前だった自分にとっての新領域
不思議な感覚をまずは楽しんでみましょうか
何か起こるかな 何も起こらないのかな まあ、待ってみましょうか

ちょっと便利になりすぎ?

コミュニケーションの手段、近年本当に便利になった
こんな書き出しをすると、どんな化石親父かと
思われるかもしれないが、あえて今日はこの事を書いてみよう

携帯電話にメール、僕自身も毎日その恩恵を受けている一人だが
ちょっと、便利さを追求しすぎて大切なことを欠落させてへんかな?
そんな、素朴な疑問が・・・

何年か前から「新入社員研修」で思い始めた疑問でもある
敬語は使えへんわ 取り次ぐという文化も姿を消した世代が社会人に
まるで、糸電話で遊んでいた子どもたちがそのまま大人になったみたい

ある意味、マセたガキが好きになったあの子のお家に電話をかける
今から思えばとってもいい社会勉強を「恋する」ことを通してやれた時代

携帯の発達から「取り次ぐ」という文化がだんだんなくなっていって
今のこの「新入社員研修」のカリキュラムまで大きく変化・・・
まあ、ここは訓練で何とかしましょう

ただ  ただ  今日言いたいことはこれ
「メール送るって、コミュニケーションかい?」
確かに、伝えたいことを文字にして「送信」で事足りる
大変便利なツール、私自身もその一人ではあるし確かに便利に使っている

『メール、送りましたから』
当たり前のように言われる事が度々あるけれど、メールでいい事と
直接話をすることとちゃんと区別できているのだろうか

便利なことを優先させて何かを避けていないだろうか
「送る」という既成事実に何かを隠していないだろうか
本当に大切な伝えたいことは伝えられただろうか

僕自身ももう一度見て見たいことだ
ちゃんと相手とコミュニケーションしていますか?

新しい年

2010 新しい年の始まり
毎年のことだが、何かを決めないと、という衝動が・・・
いいことだとは思うけれど、ここにも変化があってもいいかもしれない
それはそれとして、別の機会にしよう さてさて、どんなテーマで行きますか

こんな言葉が出て来た
「2010年 ほんまにいたい所に居る」「やりたい事を選択する」
なかなか今の自分にとっていい言葉だと思う
好奇心旺盛は素晴しいと思うし、なんにでもチャレンジする姿勢もよし
ただ、今年は「本当にこの自分がやりたい事」かどうかを
選択基準の一番においてみよう

今までの自分だったら、ちょっと自分にムチを打っても
その場にとって自分が手を下すことで貢献できることなら
だれも火中のクリを拾わないから・・・
まあ、やりたいことではあるし、ちょっとの我慢だっら

これ これ ちょっと今年はこの思考さんにお休みをしていただこう

とはいえ、今まで染み付いてきた『自動反応』
どの位、この事を自覚的に顕在化させて選択できるだろうか???
我ながら、いいチャレンジだと思う

この事を事前にキャッチして自らの選択をすることもあるだろうし
今まで同様、『自動反応』でキャッチしてしまう選択もあるだろう
どちらも自分 どちらでもオッケー

ただ、今年のテーマとして
「2010年 ほんまにいたい所に居る」「やりたい事を選択する」
このことと一年お付き合いしてみよう

株式会社空