承認のシャワー

 「承認のシャワー」浴びせてもらうと、とっても気持ちがいい

「よいしょ」でもなく「おだてること」でもない

「承認」は人の力を呼び起こす
「承認」は人の存在自体をあらわしてくれる
「承認」は事実を事実として認めてくれる
「承認」は自分のあったかい気持ちを運んでくれる
「承認」は人が前進するための推進力となる

「承認」そのものが持つ不思議なパワー

人はどうやらこの肯定的なふれあいを大切な栄養素として
生きているみたいだ

できることなら「いただく」だけでなく「与える」存在でありたい
いや、「相互に与えあえる」これがいいな

「あなたはあなたのままで素晴らしく意味のある大きな存在です」

そんなコミュニケーションから始まる世の中になればいいな

責任をとること

 「責任とってやめさせていただきます」
いつも思うことだけど、これって「責任をとる」ことなんだろうか

正解は僕にはわからないけど、心の声が「なんか違うだろ」と叫んでいる
「責任をとる」という立場をとること、そして、その在り方から行動すること
そして、お詫びをしたいのなら処理をしてから身を引くこと
僕にはこの方がピッタリくる

「やめる」行為には「責任」を放棄する意味もこめられている気がする
う~ん、日本語は本当に難しい

「リーダーとして無責任ですがやめさせていただきます」
うん、この表現はいいな
やめたら、その責任を持たなくていいわけだから

でも、そうなると「引責辞任」という言葉はどう解釈したらいいだろう
ますます、日本語の解釈の難しさに頭がグチャグチャに...

皆さんもリーダーの責任の取り方について自己観察してみてください
何をすることが「責任をとること」なのか

「聞く」から「聴く」へのコミュニケーション

 
 僕の基本は「聴く」こと。ここまでたどり着けた自分を「承認!」
当然、話すことは必要なことだし、ただ黙って聞いてるわけじゃない

順番の問題、人間関係作りにとっても大事な「まず、聴くこと」

ちょっと前の僕は「聞くよりしゃべる」そして相手の意見や評価を
もらうことがコミュニケーションだと思っていた

そして、部下からの相談は「ジャッジするための情報を収集するために聞く」
それ以外の要素は「必要なし」だった

それと、時には「聞いているふり」
自分の言いたい事を言うためのタイミングを見計らうために

それでも、充分にやっていけたし問題すら感じなかった
でも、コーチングを学んで「聴くこと」ができていない自分に直面!

「聞く」から「聴く」へ
相手の心情、言語以外のメッセージ、「聴く」には不思議な力がある
自分の評価やものさしが邪魔をするけど「聴く」ができると場が和む
そして、今でも「聞く」ことすらできない時もいっぱいある自分
そんな自分も観察しつつ「聴く」で人と関わり続けたいもんだ

ちょこっと、周りの人を「聴いて」みてくださいな
なんか、違いが見つかるかもしれませんよ

「自己正当化の罠」で手に入るもの

 誰だって自分をあんまり悪者にはしたくないし、悪者にもされたくない

でも、自分を守るあまり
「あの人がこのことをちゃんとやってくれたら...」
「こんなにしてやったのに、あいつときたら...」
「あいつがチョンボするから痛い目に...」
こんなこと、今までになかっただろうか

確かに、原因は自分以外にあったかもしれない。
でも、そのゲーム・あり方を続けている限り、
どこかに誰か「悪い人」を作り続ける

人間関係ってこうやって見てみると難しく見えてくる
でも、本当に難しいもんなんだろうか?

もし、「自己正当化」することを手放すことができたら
何が可能になってくるだろうか。何が手に入るだろうか

今の世の中に当てはめてみるといろんな発見がありそうだ
だから、人間って面白い 複雑怪奇にしているのもゲームかもね