素直さ

 「素直さ」大切なあり方だと思う
年齢を重ねたり、経験を重ねたり、立場を得たりすると
すぐにどこかにいってしまう厄介なあり方

私の欲望にとらわれず、公の欲望を優先させるということは、
言葉をかえれば、素直な心になるということです。
そのように私心にとらわれず、素直な心で物事を見ることができるように
みずからを常に顧み、戒めることが大切だと思います。(松下幸之助)

どこまで「自分が、自分が」というエゴを手放すことができるか
どこまで「聞く耳」をもって人様からのフィードバックを受け取れるか
どこまで「学び・成長」の意図をもって物事と対峙できるか
どこまで「初心」で生き続けられるか

本質は松下さんに一歩でも近づきたいと言っている
自分にとってもかなりのチャレンジングな立場どりではあるが
日々をそこから生きていきたい、いや、生きて行こう

成長する自分を手放したくないから
そして、お役にたてる自分であり続けたいから

フィルター

 少し前までの自分は「フィルター」をかけて人を見ていた
「あの人はこういう人だ」「この人はこのタイプだから」
「この人は好きだ・嫌いだ」「この人は気をつけなきゃ」

なんていう「フィルター」その人とかかわる時の僕の姿勢
十中八九、『当たり!』かもしれないし、もしかしたらそのフィルターが
『当たり!』を作り出したのかもしれない

決めつけや思い込みがどれだけその人との関係に制限をかけたか
今、振り返っても、本当にもったいないことだと思う
もっと、いろんな可能性をその人と作り出せたかもしれないし
僕自身も成長できたことがあったかもしれない

なんて、えらそうに書きながらも、
「まだまだフィルターかけて人と関わっているんじゃないの?」
僕の耳元でもう一人の自分がささやいている

できれば、フィルターなしで「瞬間・瞬間」のその人と関わり続けたい
やってみよう だってフィルターかけているのは僕自身だから
ちょっとずつ、ちょっとずつ

正直に伝えるパワー

 コミュニケーションのもうひとつの基本「伝える事」
この「伝える事」どのくらい正直に伝えているだろうか?

ストレートでなかったり、何かを隠していたり、取り繕ってみたり
誇張してみたり、すり寄ってみたり、人間っていろんなことを
付け加えたり、削ってみたり、自分を見ていても滑稽なこと

私自身、普段、どのくらい正直に伝えているだろうか
ふりかえってみると自分自身が恐ろしくなってしまう

相手にとって痛みを伴うような事はなおさら伝える事を躊躇する自分
でも、そのインティグリティのなさが、相手を尊重していないし
相手に対して一番失礼な行為とわかっているのに「躊躇する自分」が
現われる...

相手の大きさを信じ、相手に対して誠実に、「正直に伝える」
そんなコミュニケーションをとり続けたいものだ

正直に誠実に、そして相手に尊敬と愛をもって

組織も恋もおなじかも

 あの人と一緒に仕事がしたい
この会社で働きたい
人を「たく」させるもの、どこから来るんだろうか?

同じ商品でも、欲しくなるものと全く反応すら示さないものもある
この違い、どこから来るんだろうか

もしかすると恋愛だっておなじかもしれない
『この人と一緒にいたい』
そんな想いが相手に自分の気持ちを伝える行動を引き出してくれる

そんな行動を引き出してくれる「魅力」ってなんだろうか

 かっこいい外見 180cm以上の身長 1000万以上の収入 
すらっとしたスタイル すてきな容姿   
それも一つかもしれない、そして、そのことから選択するのもよし

 すてきな生き方 きれいなあり方 揺らぎない本質 本物 熱い想い
そして、こんなキーワードからの選択もありだな

どちらが長続きするのか、うまく行くのか本当のところはよくわからないけど
見えるものより隠れているものの方が嘘をつかない気がする

そして、そこから言葉をかけていただける組織でありたいし、
人間でありたい 本当、人生修業だな

「なんのために」

 最近のコーチングセッションでよくこの言葉が出てくる
ターゲットではなく、後付けの理由でもない

一人ひとりが大切にしている価値観へのアプローチ
その人の本質かもしれない「何のためにこの世に生を受けたのか」
そんなところへの問いかもしれない

これだけ聞くと、哲学的であったり、宗教的に聞こえるかも
しれないが、今の僕にとって、とても大切にしたいと思っていること

高度成長の世の中だったころだったら、こんな問い自体
必要なかったかもしれないが、今のこの世の中では大切なことに
思えて仕方がない

そこを見ないとただの作業、そこを間違えると結果も違ってくる

「それは、何のためにやるのですか?」
「何のために、起業したのですか?」
「何のために、働くのですか?」
「何のために、この世に生まれてきたのでしょうか?」

その人の本質、源泉と言っていいかもしれない
出来ることなら、その人の「何のために」の伴走者でありたい