それでも僕は人を信じる

 裏切られても、踏みにじられても、痛い目にあっても
信じていきたい「人間」を

僕自身、ここまでの変化に驚きを感じる
人間関係プログラムで「蓋をした感情」を扱っていた時
「信じない」衝撃的な言葉を口にしたことを思い出す

人は最後は裏切るもの、人を簡単に信じてはいけないもの
用心深い祖母から頂いていたありがたいお言葉

知らず知らずのうちに、最後のジャッジは「蓋をした感情」が
長い間、僕を無意識で支配してきた

輪の中でも、どこかさめていた自分、どこかで距離感を保っていた自分
振り返ると「蓋の中の感情」は巧に僕を操っていた

自分のコーチングセッションでも出てくるこのお方たち
でも、そんな感情もあってよし、そのことを自己受容していった
ところから、徐々に自分の変化が起こってきた

生身の人間だから、自分にとって痛いことは体験したくない
悟りを開いた人になったわけでもないし、右のほほも左のほほも出しません

でも、ひとつ違いを創ったことは「自分から信じない」を
手放していこうとしていること
もう一回、後一回、この人に関わってみよう、その人の中にある本質に

生身の人間として、「もういい」と叫びたくなることもいっぱいあるけど
最後に自分にもう一度プレゼントしたい

あきらめるな! 信じていこうよ「人間」を

意図的な協働関係

 
コーチとクライアントとの関係
最初、「コーチはこうあるべき」「コーチ然として」なんて
コーチ先生病にかかっていたが、ようやくわかってきた
「意図的な協働関係」

ただ、コーチが頑張るもんじゃないし、コーチは偉い人でもない
一人ひとりクライアントも違うわけだし、僕との関係も違う
クライアントが求めていること、行きたいところ、いろいろ
違ってそれもよし

そして、目の前にいる人間と僕という人間がどんな関係を創って
行くのか、そのことを明確にしていくことでクライアント自身にも
自分の役割が明確になり、コーチングの場が威力を発揮していく
起爆剤になっていく

コーチひとりの力で、もしコーチングの威力や結果が決まるのであれば
僕はコーチとして充分でないかもしれない
この「意図的な協働関係」があるからこそ「場」に威力が生み出される

そのくらい大切な関係「意図的な協働関係

その人の本質

 
「その人の本質」
コーチングを学んでいてまたまた出てきた難解な言葉

今までの僕なら、「これがその人の本質です」もしくは
「そんな、目に見えないものはよくわかりません」
こんな反応を示していたかもしれない

正解があるかもしれないし、ないかもしれない
でも、一つだけ確信を持っていえることは「本質」を
感じることがあるということ

表面的な話をしていても、コーチ自身が「その人」を見て
「好奇心」を持って、そして、その人の人となりを見続けたとき
コーチとして「その人の本質」を感じる

何かここまで書くと、正解追求型・テクニカル追求型の方々には
お叱りを受けそうだが、叱ってください だって、感じるんだもん

本当にコーチというお役をさせていただいてよかったと思う
怒りの根っこにも、喜びの根っこにも、ワクワクの根っこにも
いろんなところから本質が春の芽吹きのように現れてくる

人間ってステキな生き物だな
そして、その瞬間に立ち会えることに感謝

認知のパワー

 
認知すること
クライアントの中で光を放っている「その人となり」を
コーチが言葉にしてクライアントに伝えていくこと

単に出来事を「褒める」ものでもなく「評価」するものでもない
お世辞でも褒め言葉でも賞賛でも承認でもない
その人の人となり、その人がどんな人なのか「あり方の反映」

コーチとして知ったクライアントの深い部分への反映といっても
良いかもしれない

人は「褒める」ことで伸びる生き物とよく言われるが
単に事象や、やったことの結果に対してだけ、焦点を当たられるより
もっと深い「人として」のところに焦点が当たる時、そして
そのことを伝える側の本質の部分から言葉にした時
クライアント自身も自分自身の本質を直視せざるを得ない

小難しい言葉を使って書いているが、僕自身、コーチとして
本当に大切にしていきたい「認知」

もし、コーチングで一つだけ使ってコーチをするゲームが
あったとしたら、僕は迷わず「認知」を選択する

人にとってこれほどの「力」と「人との繋がり」を実感させてくれる
あり方からの言葉は無いと確信しているから

是非、皆さんも身近な人を「認知」してみてください
心のそこから、あなたのコアから
皆さんの世界がとんでもない変化をしていきますよ