伝えること

 コミュニケーションの落とし穴「伝えること」
こちらとしては、ちゃんと伝えたつもりだったのに
行動や結果を見ると、どうも伝わっていないという事を発見する

人に何かを伝えるとき、いや、自分自身に対しても
行きたいところはおんなじなのに、いろんなアプローチでアクセスする

具体的なのか、抽象的なのか
ほしい結果なのか、やり方のプロセスなのか
肯定的なのか、否定的なのか

出来る限り、伝える相手が理解し、こちらの欲しい結果や結論を
作ってくれるはずと思って、伝えたつもりなんだがな...
結果から見ると?

人は違っていいと解っていても、伝えたつもりになると期待する
おんなじ言語を使ってのコミュニケーションなのに
両者の間に何が起こっているんだろうか

お金と自分との関係性

 あなたにとって「お金」とは何ですか
お金と対話したらどんな関係性が見えてくるのでしょうか

「武士は食わねど高楊枝」美しいけど辛そうですね
でも、もしかしたら日本人のDNAを素晴らしく言いあてている言葉かも

先日、プロコーチのトレーニングの場でこんなくだりが
「なかなか契約までの間でお金の事を言えなくて・・・」
「でも、仕事にしようとしてるんだよね」
「はい・・・・」
このコーチにとって「お金」は自分にとってどんな奴なんでしょうね

「今年の昇給 ○●のやつ最高考課らしいな」
「俺なんて、課長に嫌われてるから 毎年そこそよ」
お金の話?それとも人間関係?人間の価値ですか?十円は十円ですが・・・

うだつのあがらないご主人様は持って帰ってくるおカネが基準

お金って面白い存在ですね。
「多い・少ない」「儲かる・損する」「金持ち・貧乏」まだまだ数えきれない
お金というフィルターを通した世界観

自分とお金の関係、明確にして見ると人生に違いが作れるかも

学び続けること

 
いつまで続くんだろう? どこまで行くのだろう?
何のために『学び続ける』のだろう?

時として自分の頭をかすめていく質問たち

別に何かの研修やワークショップに出ることだけではない
日々、人として暮らしているだけでも学びはいっぱいある
大切なことは起こったことを「学び」にするかどうかだと思う

「やっつけられた体験」も「好ましくない感情を伴った体験」も
そこから「学ぶ」ことは可能
まだまだ修行中、その瞬間から学ぶことは...ですけどね

ただ、そんな体験でも「学び」に変換したところから新たな展開が
そして、自分自身の人生に何かの影響をもたらしてくれると思う

人として答えのない探究の分野にまんまとハマったのかもしれない

もう少し続けてみよう「学びの旅」

人生のクセ

 なかなか自分では解っているつもりだけど手放せない「人生のクセ」
「いい」とか「悪い」とかでついつい扱ってしまう「人生のクセ」
「それが、私なんです」と自分自身に枠を自ら作ってしまう「人生のクセ」

本当はどう生きたいんだろうか?
どんな人生を歩んでいきたいんだろうか?

もし、「そうだ」と決めつけている自分の「人生のクセ」を
手放すことがてきたとしたら、
どんな違った人生を拓くことが可能になるのかな

セッションを通して時々見えてくる風景だ
「それはあなた自身のクセであって、あなたを支配するもんじゃない」
そして、何よりここからしか生きることが出来ないなんて
自分を小さく扱わないでほしい

「クセ」を癖としたのも自分だとしたら、違った癖を癖付ければいい
ただ、それだけのことかもしれない

何のために?
あなたが本当に生まれてきた意味を味わうために
人生を通して自分の選択としての、大きなゲームをするために

人に関わる仕事でよかった