「学ぶ」ということ
学校の先生に、近所のおっちゃんに、兄貴たちに、両親に
いろんなことを教えてもらい、いろんなことを知った
その行為で常識も常識にしたことも思い込みも手に入れた
そして、その行為が「学ぶ」ことのすべてだと思い続けていた
確かに「知識」や「社会適応力」は身に付いた気がする
最近は学ぶ行為はそれだけではなく、もっと広いところにあると
確信している。「失敗から」「うまくいったことから」「人から」
「事件から」「楽しい体験から」何でもそこから学べることを
生きていること自体が「学び」の連続、そして魂の修行
そんな感じの領域に今、存在を置いている
流していたことも、単に否定的な感情と共にした体験も
どんなことからでも「学び」を得ることもできるし、
学ばずにスルーすることも可能
他責という責任のないポジションに立つことも
源泉と言う「学び」の宝庫に立つことも どちらも可能
こうやってみてみると
やっぱり人間っておもろい生き物やな~