「学ぶ」ということ

 
「教えてもらう」僕の学びの歴史はここがスタートのようだ
学校の先生に、近所のおっちゃんに、兄貴たちに、両親に
いろんなことを教えてもらい、いろんなことを知った

その行為で常識も常識にしたことも思い込みも手に入れた
そして、その行為が「学ぶ」ことのすべてだと思い続けていた
確かに「知識」や「社会適応力」は身に付いた気がする

最近は学ぶ行為はそれだけではなく、もっと広いところにあると
確信している。「失敗から」「うまくいったことから」「人から」
「事件から」「楽しい体験から」何でもそこから学べることを

生きていること自体が「学び」の連続、そして魂の修行
そんな感じの領域に今、存在を置いている

流していたことも、単に否定的な感情と共にした体験も
どんなことからでも「学び」を得ることもできるし、
学ばずにスルーすることも可能

他責という責任のないポジションに立つことも
源泉と言う「学び」の宝庫に立つことも どちらも可能

こうやってみてみると
やっぱり人間っておもろい生き物やな~

人は変化する生き物

 
人は変れる?変れない?
ある人は「三つ子の魂百まで」なんていう人
また、ある人は「人は変化する生き物」なんていう人

僕は後者を絶対的に支持する
そういい切れる根拠は、変っていく人を目の当たりにしているから
確かに、生きてきて身につけた「人生のクセ」は人それぞれ
ただ、クセだとしたら、変化する事も可能

要は一人ひとりが本来どう生きたいのか、いきて生きたいのか
そして、本来の姿に近づこうとするのか、現状に甘んじるのか

コーチとして、人の可能性は無限だと思うし
そこに立脚できないとしたらコーチとして人に関わる事は出来ない
本来、人はよりよくいきようとする生き物だから

今日も伴走者をさせていただく事に ただただ感謝
ありがたい仕事だし、人間って本当にステキな生き物だ


地球さんが怒ってはる

 変なタイトル! と思われるかもしれないが
最近の気候や自然現象を見ていて本気でそう思っている

「地球さんが怒ってはる」日本だけでも
スコールのような夕立、続く大きな地震、
体温を超える気温、虫たちの異常発生

何を私たちに対して警鐘を鳴らしてくれているのか
人間のエゴや傲慢さに対してなのか

本来、人はこの生命体のひとつの生命のはず
どこかで、「人間だけ」が違うゲームを始めた
自分さえよければ、規模拡大、売り上げ増加
確かに今の世の中の仕組みからすればそれもよし

ただ、本質はどうだ 本当にそれなのか?
そう言いながら、この世の中の仕組みにはまっている
自分とも自問自答

そろそろ、「感謝の惑星」に向かう必要があるのでは
「人だけじゃない」そんな視点を持つ時期なのでは
地球さんからのメッセージを謙虚に受け止めて

スピードですか?

 新幹線で移動をすると目に入ってくる様々な人間模様

パソコン駆使して仕事に没頭しているサラリーマン
上司と部下だろうか、新幹線でお説教
疲れているのか、ただただ深い眠りの中の方

東京と京都を2時間強で結び、人を運ぶ新幹線
いろんな役割や立場や、仕事や余暇で利用しているんだろう

でも、いつも感じることとして、疲れている人が多すぎる
時代は違うけど、東海道は確か五十三次だったはず
それを、2時間で移動するわけだから疲れるのも納得かな

研修で様々な企業にお伺いするが、新幹線の社内と同様の空気感を
感じることが本当に本当に多い今日この頃だ

西岸 良平の「三丁目の夕日」の時代に戻れとは言わないが
もう少し、余裕のある組織になってもらいたいもんだと思う
「企業は人なり」組織論では確か、こう習ったはずだったが

こだまからひかりへ、そしてのぞみになったけど
手にしたのは無機質な「スピード」だけだったかも
あなたの組織にものぞみ現象が起こっていませんか?