大文字山

僕の原体験がいっぱい詰まっている場所

ずいぶんと人の手が入り、昔とは様相がちと違う
もっと違う光景は、トレッキングというんだろうか
団塊世代の方の多い事、それも素晴らしい装備で

こちとら、運動靴に水筒一本、肩から温泉宿で頂いた
タオルを一本 ムムムム 何か違う・・・

今日書きたかった事は「匂い」のこと

登っていくと、中腹より少し上がったところにクヌギ林がある
僕が少年時代、夏休みのほとんどの時間を過ごしたところ
「ゲンジ(クワガタ)」「ブンブン」「かぶと」
その他スズメバチまで、このクヌギの樹液に群がっていた

人間の僕でもなんともいえない「甘い」匂いを感じたところ
ところがどうだろう、あの日登ったときは、その場がとても
酸っぱかった、すえたにおいがした

何が起こっているのかはよくわからなかったけど
間違いなく、あの林に何かが起きている
これも、僕ら人間の仕業かも・・・

ここからも何か自然からのメッセージを受け取った
同じ生き物として何を学べと言ってくれているんだろうか

解っているつもり

あるクライアントさんとのやり取りで
「今までも似たような出来事はありませんでしたか?」
「あるある、でもこれって解っていることですから」

っん????

で、どうしたいんだろうか
コーチングの場から何を持って帰って、どんな変化をしたいのだろうか
「解っています」何の変化も生まない言葉

もしかしたら、「痛いところをつきやがって」と思われたかも
でも、これが僕のお仕事、コーチングってものなのです

関わる人が、より充実し、バランスよく、今を豊かに生きてほしい
そのことに一歩でも近づくことなら、出来ることを精一杯やる

誰だって、今までの習慣やクセを手放すことはしんどいこと
ただ、そのことがそのクライアントさんのありたい人生に近づくとしたら
一歩踏み出してほしい あなたの大きさってとんでもない存在だから

「解っていることをどうしたいですか?」
「その人生のクセ、どうしたいですか?」
すべてはクライアントさんの選択と決定だが、
見えたこと、感じたことは率直にその場に出していきたい
コーチとしてでなく、一人の人として 
そして、クライアントさんのとんでもない大きさと存在を信じて

エンロールメント

最初、この言葉にお目にかかったのは20年位前
「自己啓発セミナー」の中でお目にかかった
辞書を引くと「巻き込むこと」と出ていたが
当時の僕の解釈は「勧誘」あんまり居心地はよくなかった
人を誘う事だと認識していた時代

その後も、いろんな場面で出てきたが、どちらかというと
あんまり肯定的に受け取っていなかった言葉

最近、この言葉の質感というか、解釈がずいぶん変わった
「場にインパクトを与える事」「何かが動きだすこと」

たとえそれが、自分がほしい結果でなかったとしても
何かを始めたことで「場」が動き出す事
その場にインパクトと動のエネルギーが流れ出す事

こんな感じで、エンロールメントという言葉を解釈し始めた
まだまだ「学びのたび」は続きそうな予感だけを大切にして
歩いていこう。せっかくもらった「命」だから

正しいか間違っているか

今まで僕も含めて受けてきた教育
「正解」「不正解」 「正しい」「間違い」
そして、いかに問題正解能力を高めていくか
そこにとんでもないエネルギーを注いだ様な気がする

 確かに、知識を身につけることは大事だと思っているし
それがあるから今日まで生きてこられたことも事実
学校を卒業しても、いつまでも呪縛のようにくっついてきた
「正しいか」「間違っているか」 「正解」「不正解」
でも、本当に人間の価値までも、生き方までも
「正しいか」「間違っているか」だけで判断していいもんだろうか

 いささか、疑問が残る
本当に大事にしていくものってなんだろうか
世の中で正しいとされている事から少し逸脱したとしても
自分の価値観を大切に生きていくことって「間違った生き方」なんだろうか

 また、青いことをといわれそうだが、「正解・不正解」も単なる
視点のひとつに見えてしょうがない
もっと、自分らしく、充実した人生を送るとしたらあまりにも
小さな視点にはまり込むのってどうなんだろうか?