何のために

「何のために」大事なことだと最近感じている
何かをやろうとするとき、行動はとっても大切な要素だけれど
その事をやる『理由』や『背景』を持つことはもっと大切だと思う

ただ、いわれたから「やる」ではなく
「命令」だからやらねばならないでもなく
やらなきゃいけないから「やる」でもなく
自分が「このため」を持ってやるときのパワーは凄いもんだ

『結果・結果』うるさく聞かれる言葉だが、決して「結果」を
手放している話ではない。結果は大切だと思うし、行動があるから
結果が生まれるのも充分承知

ただ、漠然と行動をして出来た結果と
「何のために」が明確な結果は大違いという事を言いたいだけ

そして、何より「自分自身」手に入れるものが大違い
充実 豊かさ 意義深さ 満足 歓びや満ち足りた感覚
ただやる ではなかなか手に入らないご褒美

「Be」 「Do」 「Have」
出来れば、いつも「Be」から始めたい
生きている実感を、いつも感じていたいから

あり方のシフト

「あり方が変わる」
ややこしい分野だな
目に見えないし、重さも量れない

本当に大切なことは『目に見えない分野』かもしれない
今の世の中「やり方」を伝授してくれるツールは山ほどある
いやいや、そればっかりかもと想うこともよくある
確かに「やり方」を知っていること「やり方」をやる事も大事

やり方が同じだったら、人は皆、同じ結果を手に入れるのだろうか
何か違うような気がする うん、違うな
この違いってどこから来るんだろうか?

一人ひとりの能力? 一人ひとりの持っている環境?
一人ひとりの学力? 一人ひとりの手先の器用さ?

そうかもしれないけれど、決定的な理由ではない気がする

同じ事をやったとしても、「何のために」「誰のために」
そんな違いが結果を変える気がする
同じ仕事をしていても「このために自分の命を使っています」
ここから来る仕事はどうやら大きな違いを生みそうだ

ただ、「やる」という世界から、大きな広がりと深さと充実を
手に入れることが充分可能な「あり方のシフト」

一歩、そしてまた一歩

立ち止まってみること
あまり、普段の自分自身にとって意識が向かない分野
どちらかといえば、猪突猛進型の僕にとって
「立ち止まる」=「動いていない」
そんな翻訳機が答えを出していた感じだ

最近、とある場面で出くわした
決して立ち止まることは動いていない事ではないと言う事
動き始めて、そして、立ち止まって見てみる
そして、また次の一歩を歩み始める

慎重そうに聞こえるかもしれない
もっと早くという呪縛の声に支配されるかもしれない
確かに、立ち止まらずに一気に駆け抜けることも可能

今回の大きな学びは「動いていること」で発見できることと
「立ち止まって」発見できることの両方があるということ
どちらがよくて、どちらが悪いということではなく
自分の創りたい未来のために、思い描く未来を手に入れるために
どちらも持って進んでいくことが大切ということ

何のために動いていくのか?
勿論、譲ることの出来ない「自分の想い」に近づくため
だとしたら、やり方に執着をもつのではなく
動いて「一歩」 立ち止まって「一歩」
大切にしたいことは「一歩、そしてまた一歩」

捨てることの意味

ちょっとしたマイブーム「捨てる」
事の始まりは、母屋の片付けから
誰も住まなくなった生家でもある母屋の片付け

押入れや箪笥の中からいろんなものが出て来る、出て来る
マータイさんも言ってたな~ 「モッタイナイ!!!」
我が家の歴史を垣間見る瞬間でもあった

でも、今回は思い切って「捨てる」にチャレンジしてみた
いろんな事が自分の中に起こることを楽しみつつ・・・
「まだ、使えるんじゃないかな?」
「捨ててもいいのかな?」「後で何か起こらないかな?」

いろいろな思考がその瞬間、瞬間、僕の頭の中を駆け巡る
そうやっているうちにこんな「視点」が出てきた

今までの人生の中でも同じ思考で「捨てる」事が
出来なかったことってないだろうか
そう思うと、いろいろな「蓄積物」が思い浮かぶ

「捨てた」「手放した」「完了した」
言葉はいろいろあるけれど、一旦、過去の事を整理整頓
新しいものが入ってくる気がする
何か自分の中にスペースを感じる

「モッタイナイ」と「どうでもいい事」そこに区別を持って
「捨てる」という行為も意味があるもんだ
そんな学びを両親からいただいた瞬間

ありがとう! 感謝します。