改めて「認知」

認知のスキルは、クライアントに揺るぎない自信を与えます。
本当に認知されたと感じたとき、それこそクライアントの背筋はピンと
真っすぐに伸びるはずです。
コーチが認知するのはクライアントの人となりであって、その行為ではありません。
                         ※出典 コーチング・バイブル第2版 P72~P74「認知のスキル」

改めて強力なかかわりだと思う『認知』
学びの中で知っている世界より、実体験が確信を与えてくれる
教科書や理屈ではなく、与えてもらうことで実感が増す
体験  いや、体感の世界で感じること

どれだけの人に、その人に認知を配達できるだろうか
こちらが配達したとしても大切なのは配達された相手の感じ方
出来るだけ、その瞬間に感じたその人の「人となり」を配達しようと
しているが、うまく行くこともあればそうでないことも

もっともっと、認知のシャワーをと思うけれど
天から降りてくることもあれば、搾り出す時もある
何が違うか良くつかんでいないけれど、違いがあることだけは確か

コーチのスキルと言う単純な言葉で片付けたくない『認知』という行為
人がいつも相手に認知を送れるくらい相手に好奇心を持って
相手と対峙した関係で関ったとしたら、そして、その事が
当たり前の世の中になったとしたら、変わるだろうな、この世の中

絶対世の中は変わる!!! 自分の中の確信
一人ひとりが「朝、起きがいのある人生」を歩き出す
存在意義や人生の目的に対して歩き出す世の中に絶対なる

自分の中の確信を信じてやっていこう
創りたい世の中に一歩でも近づけるためにも
自分が出来ることを、自分の出来る所から
やっぱり、今年もアチチ男です

 

「立ち止まる」を許容してみたら

なかなかエンジンがかかってこない今日この頃
今までの自分であったら許されない状態 何かしなくちゃ
次の目標立てて、未来はああなってこうなって

日常生活に支障があるわけではないし、仕事もちゃんとしている
でも、今までの自分の行動パターンや思考が何かを言ってくる
動いたほうが良いのか? フルスロットルになったほうが良いのか?

ちょっと、視点を変えて「今年のテーマ」からみてみると
「2010年 ほんまにいたい所に居る」
「やりたい事を選択する」
ほっほ~ 『立ち止まる』という行為が新鮮に見えてくる

確かに今の世の中で『立ち止まる』という行為自体なかなか
許容されないのも事実のような感じもするけれど
本当にそうだろうか? 取り残されてしまうのだろうか?

スピード化 変化の時代 流れについていく
いろいろなキーワードが出てくるけれど「立ち止まる」も
必要な居所のような気がするな~ ちょっと怖いけど

「今、立ち止まる」ということが自分の長い人生にとって
「今、この瞬間」意味があることだとしたら何が見えてくるだろう
正直、よくわからないけれど、無理やり動こうと思うより
自分に対して正直で自然な感じが体のメッセージとして受け取れる

『立ち止まる』の先に何が見えてくるかは定かでは無いけれど
自分の選択として許してみよう  これまた新たなチャレンジ領域
何かが動き出せばそれはそれだし、動かなかったらそれもそれ

「動くこと」「前進すること」が当たり前だった自分にとっての新領域
不思議な感覚をまずは楽しんでみましょうか
何か起こるかな 何も起こらないのかな まあ、待ってみましょうか

ちょっと便利になりすぎ?

コミュニケーションの手段、近年本当に便利になった
こんな書き出しをすると、どんな化石親父かと
思われるかもしれないが、あえて今日はこの事を書いてみよう

携帯電話にメール、僕自身も毎日その恩恵を受けている一人だが
ちょっと、便利さを追求しすぎて大切なことを欠落させてへんかな?
そんな、素朴な疑問が・・・

何年か前から「新入社員研修」で思い始めた疑問でもある
敬語は使えへんわ 取り次ぐという文化も姿を消した世代が社会人に
まるで、糸電話で遊んでいた子どもたちがそのまま大人になったみたい

ある意味、マセたガキが好きになったあの子のお家に電話をかける
今から思えばとってもいい社会勉強を「恋する」ことを通してやれた時代

携帯の発達から「取り次ぐ」という文化がだんだんなくなっていって
今のこの「新入社員研修」のカリキュラムまで大きく変化・・・
まあ、ここは訓練で何とかしましょう

ただ  ただ  今日言いたいことはこれ
「メール送るって、コミュニケーションかい?」
確かに、伝えたいことを文字にして「送信」で事足りる
大変便利なツール、私自身もその一人ではあるし確かに便利に使っている

『メール、送りましたから』
当たり前のように言われる事が度々あるけれど、メールでいい事と
直接話をすることとちゃんと区別できているのだろうか

便利なことを優先させて何かを避けていないだろうか
「送る」という既成事実に何かを隠していないだろうか
本当に大切な伝えたいことは伝えられただろうか

僕自身ももう一度見て見たいことだ
ちゃんと相手とコミュニケーションしていますか?

新しい年

2010 新しい年の始まり
毎年のことだが、何かを決めないと、という衝動が・・・
いいことだとは思うけれど、ここにも変化があってもいいかもしれない
それはそれとして、別の機会にしよう さてさて、どんなテーマで行きますか

こんな言葉が出て来た
「2010年 ほんまにいたい所に居る」「やりたい事を選択する」
なかなか今の自分にとっていい言葉だと思う
好奇心旺盛は素晴しいと思うし、なんにでもチャレンジする姿勢もよし
ただ、今年は「本当にこの自分がやりたい事」かどうかを
選択基準の一番においてみよう

今までの自分だったら、ちょっと自分にムチを打っても
その場にとって自分が手を下すことで貢献できることなら
だれも火中のクリを拾わないから・・・
まあ、やりたいことではあるし、ちょっとの我慢だっら

これ これ ちょっと今年はこの思考さんにお休みをしていただこう

とはいえ、今まで染み付いてきた『自動反応』
どの位、この事を自覚的に顕在化させて選択できるだろうか???
我ながら、いいチャレンジだと思う

この事を事前にキャッチして自らの選択をすることもあるだろうし
今まで同様、『自動反応』でキャッチしてしまう選択もあるだろう
どちらも自分 どちらでもオッケー

ただ、今年のテーマとして
「2010年 ほんまにいたい所に居る」「やりたい事を選択する」
このことと一年お付き合いしてみよう